私の個人事務所がある千代田区は、高層ビルだらけの都会なのに歴史を感じさせるモノが多いです。(江戸城があった場所ですから当たり前ですが)
なので時間のあるときは、ふらふらと散歩したり、遠回りをしたりしています。
目的のない散歩によって、ウミガメのスープ問題のヒントが思い浮かんだりもします。
そして、今回は岩本町で謎の鳥居を見つけました。
マンションと、オフィスビルが密集するエリアの岩本町2丁目の細い路地に、ポツンと佇んでいます。

幟を見ると「繁栄お玉稲荷大明神」と書いてあります。



「繁栄お玉稲荷大明神」とはどんな神社なのか?
調べたところ、複数の説が出てきました。
- 太田道灌が江戸城築造に際して、その守護神とすべく、1457年に勧請して創建した。
- 近くの池に投身した「お玉」という女性を祀るために地元の人によって創建された。(後述)
- 上記2つを合わせた説(太田道灌が創建したときは別名だったが、その後にお玉が投身したので「お玉稲荷大明神」と呼ばれるようになった)
3つ目の説が濃厚なようです。
この神社は1855年の安政江戸地震の火災によって焼失してしまい、1871年に分社があった葛飾区新小岩に移転しました。今も同地に「於玉稲荷神社」として残っています。
なので、こちらの「繁栄お玉稲荷大明神」は、どこかのタイミングで再興されたものなのでしょう。
横には弁財天も祀られています。

一応、裏側も回ってみました。

「お玉が池跡」と書かれた石碑の謎
そして、気になるのが、「お玉が池跡」と書かれた石碑。

よく見ると以下の説明が書かれています。
江戸時代以前、この地域にお玉が池という池があったと言われています。不忍池よりも大きかったという言い伝えもありますが、詳しいことは分かっていません。当初は桜が池と呼ばれていましたが、ほとりにあった茶店のお玉という女性が池に身を投げたという伝説から、お玉が池と呼ばれるようになりました。(千代田区)
先ほども軽く触れましたが、桜が池に投身したお玉さんの伝説から、「お玉が池」と呼ばれるようになり、そのほとりにあった神社も「お玉稲荷大明神」となったということですね。(別の説ではお玉さんを祀るために創建された)
お玉さんはなぜ投身したのか?
そもそもなぜ、お玉さんは池に身投げしたのでしょうか?
その答えは神社のすぐそばにある、お玉が池児童遊園にありました。

この看板に載っている歌川広重『東都旧跡尽 神田お玉が池の故事』に書いてあります。

簡単にいうと、美人で評判だった、お玉さんに対し、見た目も性格も同じような男が二人同時に求愛してきて、悩み過ぎたお玉さんは池に投身したということです。
求められる側が自ら命を絶つというのは珍しいですね。そうせざるを得ない時代背景があったのでしょうか。
こちらにも「お玉ヶ池跡」と書かれた木碑がありました。

ちなみに、この看板のある場所は、児童遊園と名がついていますが、ただの通路にしか見えません。

ビルとビルの間にありますからね。

申し訳程度にカエルのオブジェ?のようなものがあるだけです。

遊んでいる子供もいませんでした。
タバコを吸っているオジサンは何人かいました。
「禁煙」と書かれている場所で喫煙してしまうのはある意味、子供なのかもしれません。
北辰一刀流の千葉周作の「玄武館」の跡地
看板をよく見ると、この地域には儒学者や剣術家、柔術家などが多くいて、道場を開いていたと書いてあります。

岩本町駅の近くのマンションの一角に、その跡があります。


北辰一刀流の千葉周作が開いていた剣術道場「玄武館」の跡地です。
その隣には儒学者の東條一堂が開いた「瑶池塾(ようちじゅく)」があり、儒学や詩文を教えていたそうです。

「右文尚武(ゆうぶんしょうぶ)」とは、学問を重んじ、武事を尊ぶという意味で、文武両道を意味する言葉なのだとか。
東大医学部の前身とされる「お玉ヶ池種痘所」の跡地
それと、この地には1858年に「お玉ヶ池種痘所」という種痘所(しゅとうしょ)が設立されました。
種痘所とは、天然痘の予防や治療を行うための医療機関です。これが後の「西洋医学所」(東京大学医学部の前身)となりました。
現在は会社のビルとなっていますが、その碑は残っていました。


岩本町と水
今回は謎の鳥居からお玉さんの伝説を知ることができたのですが、そもそも岩本町に不忍池より大きな池があったということ自体が初耳でした。
よく通る場所ですが、そのような痕跡を見掛けた記憶がありません。
ということで、水に関係しそうなところをいくつか訪ねてみたので、オマケで写真を載せます。
【玄武館と瑶池塾の跡地にあった防災井戸】↓

【岩本町馬の水飲広場(全体)】↓

【岩本町馬の水飲広場(案内板)】↓

【岩本町駅から秋葉原駅に向かう途中の横にある親水テラス】↓

【親水テラスから眺める和泉橋】↓

【和泉橋からの神田川】↓

特にお玉ヶ池跡(桜が池)と関連しそうなものはなかったです…